ミャンマーを救う日本の挑戦的外交

1. ロヒンギャ問題の現状

 ミャンマーと言えば現在ラカイン州西部にて危機が増大しているロヒンギャ問題が世界中の注目を浴びている。

 ラカイン州西部で生活をしていたムスリム系住民ロヒンギャがミャンマー政府の方針により「存在しない種族」として扱われ、それに反発したロヒンギャの武装組織アラカンロヒンギャ救世軍(ARSA)がラカイン州の警察施設を襲撃し、多数の死傷者が発生、その対抗措置としてミャンマー国軍の治安機関(警察軍)が居住地域へ武力制圧を行い多数の死傷者と避難民を発生させたことは、世界の報道機関が伝えている。

 ミャンマー政府並びに難民の収容を行うバングラデシュ政府に対する事態収拾の遅延による批判報道が席巻し、欧米政府や国連は「人道主義」の名のもと避難民の支援は行う一方で、ミャンマー政府には非難と国際刑事裁判所(ICC)へのミャンマー軍幹部の告訴など厳しい態度をとり続けている。

 表面的にはミャンマー政府の実質的指導者アウン・サン・スー・チー国家顧問への失望ということであろうが、もう一面には欧米の民主主義や文化等をしっかりレクチャーした上で軍事政権下のミャンマーに「先兵」として投入し、政権交代を実現し欧米に有利な国家形成を目論んでいたところが、いざ権力を持つと全く言うことを聞かないスー・チー国家顧問に痺れを切らしたというところが彼らの本音なのかもしれない。

 欧米諸国、イスラム諸国がロヒンギャ側に寄った支援を行う一方で、西側諸国より経済的にも国家間の親密度も高い中国やインドなどは「内政不干渉」の原則からミャンマー政府を擁護し、むしろロヒンギャの武装勢力を「テロリスト」として批判し、政府への協力を表明している。

2. 一線を画す日本の対ミャンマー外交

 このような対立構図の中で、注目されるべき外交を行っているのが日本政府である。

 その発端は2018年1月12日、河野太郎外務大臣がミャンマーを訪問してスー・チー国家顧問と会談した際、ロヒンギャ難民の帰還支援のために約300万ドル、そしてラカイン州の住民生活改善や開発のために約2000万ドルをそれぞれ支援すると約束した。

 その一方で、難民の帰還状況を日本政府がモニタリングすることを合意したうえで外国メディアや国際NGO等のラカイン州への立ち入りを認めるように要請したのである。

 更に翌13日にはラカイン州マウンドーを訪問し、現地のロヒンギャ避難民と面談し、今後の支援等について説明を行った。バングラデシュの難民収容キャンプではなく、ミャンマー国内で避難民と接触をしたのは、河野外務大臣が初めてであった。

 この訪問と合意内容は、これまでの欧米追従とも揶揄されてきた日本外交と比べるとかなり挑戦的なものであるとともに、この問題に対応する他国との違いで明らかなことが3つ所在する。

 まず、ミャンマー政府とロヒンギャ難民の双方と接触を行ったことである。

 ロヒンギャ問題をめぐっては、前記のとおり各国間で態度が分かれ、いずれも片面的コンタクトでしかなかったが、日本政府はミャンマー政府に問題解決への取り組みの透明化の要求とバックアップを約束し、ロヒンギャ武装勢力は認められないが、避難民支援は重視するという確固とした立場をとり、ミャンマー政府とひたすら対立するわけでも、ひたすら擁護するわけでもなく、長期的展望に立って今後の和解・調停を主導する国家の一番手として世界に名乗りを上げることにもなったことである。

 次にミャンマー政府に対し難民帰還を促すことで危機の克服を自覚させ、解決への行動を加速させるとともに、ロヒンギャの帰還後の生活支援、対立するラカイン州住民への地域支援を具体的に提示することにより、双方に平和構築への長期ビジョンをイメージ化させることが出来たことである。

 勿論、「国籍を与えない」という厳しいミャンマー政府の方針はすぐには変わらず、難民帰還は相当に厳しいものになると思うが、バングラデシュからの帰還はロヒンギャ問題の終結に向けた重要な突破口であり、帰還してくることを自覚させ、問題解決への行動を加速化させることに重要な意味があったと考えられる。また、帰還後の生活保障や当該地域への支援は、緊張緩和への長期的な道程に必要であり、双方完全和解には至らずとも、互いが生活保障される上で共存することが可能となれば、ロヒンギャ武装勢力や治安機関による憎しみの連鎖は次第に消滅していくのではないかと考えられる。

 そして、ミャンマー政府が合意事項を履行しているかを日本側が確認できるようにしたこと、更に欧米諸国をはじめとする世界各国に対する危機の払拭に向けた政策の実行を促したことである。日本政府はバングラデシュ政府との約束に基づきミャンマー政府が難民の帰還を進めているかをモニタリングすることを確認している。つまり、「援助の持ち逃げは許さない」という姿勢を示しており、「内政不干渉」の原則を重視し、援助を行っても当該政府の独立性を重視することが多かった日本外交において、状況如何では支援停止も辞さない監視を行うというかなり踏み込んだ合意事項となっている。

 また危機の払拭とは、簡単に言えば報道規制の緩和、外の目を入れることによって孤立したミャンマーの国際社会への復帰を促すこと、これもロヒンギャ問題の実効性ある解決への一歩と考えられ、その意味では日本はミャンマー政府と批判的な各国、国際機関との橋渡しを試みたとも考えられるのである。

3. ロヒンギャ問題を理解する新たな視座の必要性

 以上の3点を基軸とした日本政府の対ミャンマー外交は、欧米諸国から見れば双方に与する「卑怯者」のプランであろう。しかし、欧米諸国の対ミャンマー政策が全て完璧な正解ともいえないのではないだろうか。

 「人道主義」は時に片面的なものに陥りやすい考え方であり、一方を保護することは容易ではあるが、現実には複雑に入り組んだ双方の利害があり、理想論だけでは現実の切実な危機に対応することは難しい。

 河野外相は今年の国連総会時に行われたロヒンギャ問題に関する会合においても、日本の立場を表明し、その前に行われた外相会合においても日本のミャンマー外交政策について理解と協力を求めるため精力的に活動を行っていた。

 その後、国連会合ではミャンマー政府に対する非難決議が採択されたが、日本は棄権をした。これまでも様々な決議があり、日本政府は棄権票を投じてきたと思うが、今回は名誉ある「棄権」であると評価したい。

 これまで我々の耳にする報道のほとんどは欧米発信のものが多く、多くの日本人のロヒンギャ問題に対する理解はどちらかと言えば欧米諸国の立ち位置でこれを理解していると考えられる。これは致し方ない事実ではあるものの、それではこの問題を完全に理解しミスリードなく対応策を思案することは出来ないであろう。

 今月スー・チー国家顧問が日本を訪れる。

 日本の挑戦的外交政策が、永年の友好国ミャンマーの危機を救うことが出来るのか、そして危機を乗り越える力をミャンマーに与えることが出来るのか。

 克服の兆しが見えた時にこそ日本の新しいミャンマー外交が始まりを迎えるのかもしれない。(了)

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