サイバーセキュリティ企業と国家安全保障(6)―カスペルスキー製品排斥の背景―

CISTEC Journal 7月号掲載[2019.8.1]

死地と隣合わせのサイバー空間

1. ベラルーシ企業による発見

 第1回で触れたように、米連邦政府機関からの締め出しという形で、具体的に、カスペルスキー社のビジネスに制限が掛けられたのは2017年のことである。それでは、これに至る以前、米政府とカスペルスキー社の確執は、いつから始まっていたのだろうか。可能性として考えられるのは、2010年に米国政府の関与が疑われたマルウェア「スタックスネット(Stuxnet)」の発見者が、発見後、間もなくカスペルスキー社に入社したことまで遡るかもしれない26

 スタックスネットを最初に発見したセルゲイ・ウラセン(Sergey Ulasen)は、カスペルスキー社によるインタビューの中で、「ウラセンは中東における自由民主的価値観に対する敵である」という報道へのコメントとして「確かにそうですよ。あと、ベルリンの壁を築いたのも自分です」と一旦、自虐的に茶化しながら、自分は一度も公にスタックスネットの発信者に関する「陰謀論を説いたことはない」とも主張している27。つまり、この件で、米国やイスラエルを批判したことはないということである。

 ウラセンはこのとき、ベラルーシのサイバーセキュリティ企業で働いていた。ベラルーシというと、冷戦後のソ連の解体によって、ソ連を構成する一共和国から独立国家となった国々の一つである。このとき独立した国家の中には、エストニア、ラトビア、リトアニアといったバルト三国のように、ロシアによる支配からの脱却を目指し、早々に北大西洋条約機構(NATO)に加盟した国々もあった。しかし逆に、親ロシア的な政治スタンスを維持する国々もあった。ベラルーシは後者に属するといえるだろう。ウラセンのサイバーセキュリティ・チームはイラン企業のサイバーセキュリティを請け負っていたが、同企業の再起動を繰り返すコンピュータを調べているうちに、このワームの発見に至ったのであった27

2. スタックスネットの狙い

 スタックスネットの投入に至るプロセスは、デイヴィッド・E・サンガー(David E. Sanger)の著書『直面と隠匿』(原題:Confront and Conceal、未邦訳)に詳しい。関係者へのインタビューに基づいた内容だが、そこに実名で登場するジェームズ・カートライト(James Cartwright)は、この作戦の立案者の一人であり、オバマ大統領と深い信頼関係を築いていた人物でもある。カートライトは、作戦の立案時、米戦略軍(USSTRATCOM:United States Strategic Command)の司令官であった。そのカートライトが情報漏洩の捜査対象とされたことが、かえって、この書籍の記載に信憑性を与えている。捜査の結果カートライトは、FBIに対する偽証の罪のみで有罪判決を受けるが、恩赦によって実刑を免れている28。オバマ大統領とのつながりを感じさせる結末であった。

 同書の記述によれば、スタックスネットの目的は、直接的にはイランの核開発の遅延であった。もともとデリケートで壊れやすい精密機械である遠心分離機が不規則に壊れても、サイバー攻撃を疑う前に、まずは他の技術的要因を疑うだろう21 p.188-190。イランの技術者たちに自分たちの技術そのものを疑わせることが狙いの一つだった。誰かのサイバー攻撃を疑うこともなければ、誰かを恨むこともないはずだ。そしてただ、核武装が遅れる訳である。米国にとって、間接的ではあるがより重要な目的は、イスラエルに、このナタンズのウラン濃縮施設への直接攻撃を思いとどまらせることにあったのである。

3. ホワイトハウスの懸念と衝撃

 イスラエルの、特にネタニヤフ首相はしびれを切らしていた。空爆によるイランの核開発妨害を強く主張する同首相は、2011年には、この空爆という選択肢を公然と批判するモサド長官メイール・ダガンを事実上更迭している。

 イスラエルには、空爆による核開発計画阻止の成功例が過去にあった。2007年には、前首相のエフード・オルメルト(Ehud Olmert)時代には、シリアの極秘核施設の空爆に成功している。このときは更に、その後、シリアが戦乱の時代に入ってしまい、核兵器の開発は影を潜めている。この成功例は、空爆を実行しようとするネタニヤフ首相の背中を押す要素となっていただろう。しかしダガン長官にとってこの実例は、イランの場合においてはプラス材料になるとは思われていなかった。シリアと違い、イランの施設は地下深くに設置されているため、空爆による被害は限定的なものとならざるを得ないと思われたからだった21 p.223

 また、更にいえることは、空爆によって施設にダメージを与えることができたとしても「知識」を吹き飛ばすことはできず、むしろ、イラン内の分裂していた意見を、核兵器開発の方向に一致団結させてしまう懸念があったことであった21 p.220,223-224。イランへの直接攻撃に反対するオバマ大統領はネタニヤフ首相との会談の中で、自分と「イスラエルの情報機関のある高官」は意見を一にしていると語ったという29

 米国の懸念は、シリアのときのように、単独でイスラエルがナタンズのウラン濃縮施設に空爆を加えることだった。シリアの空爆の後、当時大統領だったジョージ・W・ブッシュは回顧録の中で「この空爆はイスラエルが単独でも行動する意志があることを示した」と驚きを語っている30 p.293-924。このときに認識を改めたホワイトハウスは、イスラエルの行動力を、今まで以上に恐れていたのである。

 このような懸念を背景として、米国政府は、スタックスネットによる作戦(オリンピック・ゲームズ作戦と名付けられている)の緩やかで確実な成功を望んでいたのである。それ故に、2010年のスタックスネットの露見にホワイトハウスは愕然とした。これでもうサイバー兵器による実験は終わったと認識したイスラエルが、ついに直接攻撃に打って出るのではないかと思われた21 p. 205

4. 暗殺される原子物理学者たち

 米国がそれほどまでにイスラエルの実力行使を恐れる背景には、その実現性の高さと、実現したときの経済的混乱への懸念がある。実現性の高さを表すものが、それまでに行われてきたイスラエルによる空爆の実例と、何者かによるイラン人原子核物理学者の暗殺の数々である(表2)。イスラエル近隣諸国の核開発は、イスラエルに核兵器開発と見なされ、1981年のイラク、2007年のシリアと、繰り返し空爆によって妨害されてきている。

 ところで、ロシアにルーツを持つカスペルスキー社、及びファーウェイ社、ZTE社という中国企業のサイバースパイの懸念を議論する中で、経済的な制裁や訴追は見られるが、暗殺などはなかった。そこは、そういう類の世界ではないように見える。しかし、中東の核開発を巡る世界はこれと異なり、遥かに血なまぐさい世界である。サイバーセキュリティの専門家ウラセンが思いがけず参加することとなったこの国家間サイバーセキュリティの世界は、多くの死体が転がっている国際紛争の世界と隣合わせなのである。

表2. イラン核開発関連施設爆破、関係者殺害事件一覧

日付場所被害者手段
2010年1月12日テヘラン市街素粒子物理学者マスード・アリ=モハンマディ(Masaoud Ali Mohammadi)殺害遠隔操作による爆破31, 32
2010年11月29日テヘラン市街原子物理学者マジド・シャーリアリ(Majid Shahriari)殺害マグネット式爆弾32
2010年11月29日テヘラン市街原子物理学者フェレイドーン・アバシ=ダヴァーニ(Fereidoon Abbasi Davani)殺害未遂マグネット式爆弾21p.141-143
2011年7月23日テヘラン市街学者ダリオーシュ・レザエイネハド(Darioush Rezaeinejad)殺害バイクからの狙撃33
2011年11月12日テヘラン近郊の軍事基地ハッサン・モガダム(Hassan Moghaddam)少将(弾道ミサイル計画の設計者)他爆破34, 35
2012年1月11日テヘラン市街大学教授モスタファ・アフマディ=ロシャン(Mostafa Ahmadi Roshan)殺害マグネット式爆弾36 p.496
2012年8月17日コムフォルドゥー、ナタンズへの電線が爆破される爆破37

つづく

参考文献

21. Sanger, David E. Confront and Conceal : Obama’s Secret Wars and Surprising Use of American Power. New York : Broadway Paperbacks, 2012.
26. 樫原薫 . 米中経済安全保障調査委員会(USCC)レポート解説 ―「 米国連邦政府の情報通信技術におけるサプライチェーンの中国からの脆弱性」. CISTEC Journal. 2018 年9 月, No.177, ページ: 173.
27. Kaspersky, Eugene. The Man Who Found Stuxnet – Sergey Ulasen in the Spotlight. Eugene Kaspersky – Official Blog.(オンライン)2011年11月2日.(引用日:2019年5月20日.) https://eugene.kaspersky.com/2011/11/02/the-man-who-found-stuxnet-sergey-ulasen-in-the-spotlight/.
28. Savage, Charlie. Obama Pardons James Cartwright, General Who Lied to F.B.I. in Leak Case. The New York Times.(オンライン)2017年1月17日.(引用日:2019年5月17日.) https://www.nytimes.com/2017/01/17/us/politics/obama-pardons-james-cartwright-general-who-lied-to-fbi-in-leak-case.html.
29. CBS News. The Spymaster: Meir Dagan on Iran’s threat. 60 Minutes – CBS News.(オンライン)2012年9月12日.(引用日:2019年5月30日.) https://www.cbsnews.com/news/the-spymaster-meir-dagan-on-irans-threat-12-09-2012/.
30. ブッシュ, ジョージ・W. 決断のとき〔下〕.(訳)伏見威蕃. 東京都 : 日本経済新聞出版社, 2011.
31. Bednarz, Dieter. Who Killed Masoud Ali Mohammadi? Spiegel Online.(オンライン)2010年1月18日.(引用日:2019年5月17日.) https://www.spiegel.de/international/world/mysterious-assassination-in-iran-who-killed-masoud-ali-mohammadi-a-672522.html.
32. Roblin, Sebastien. Israel Tried to ‘Eliminate’ Iran’s Nuclear Program By Killing Scientists. The National Interest.(オンライン)2019年5月16日.(引用日:2019年5月23日.) https://nationalinterest.org/blog/buzz/israel-tried-eliminate-irans-nuclear-program-killing-scientists-57932.
33. Cole, Matthew , Schone, Mark. Who Is Killing Iran’s Nuclear Scientists? ABC News.(オンライン)2011年7月26日.(引用日:2019年6月21日.) https://abcnews.go.com/Blotter/killing-irans-nuclear-scientists/story?id=14152453.
34. Symonds, Peter. Huge explosion at Iranian missile base kills top general. World Socialist Web Site.(オンライン)2011年11月16日.(引用日:2019年6月21日 .)https://www.wsws.org/en/articles/2011/11/iran-n16.html.
35. Brannan, Paul. Satellite Image Showing Damage from November 12, 2011 Blast at Military Base in Iran. Institute for Science and International Security.(オンライン)2011年11月28日.(引用日:2019年6月21日.) http://isis-online.org/isis-reports/detail/satellite-image-showing-damage-from-november-12-2011-blast-at-military-base/.
36. ゾウハー, マイケル・バー , ミシャル , ニシム . モサド・ファイル イスラエル最強スパイ列伝.(訳)上野元美. 東京:早川書房, 2014.
37. Lake, Eli. Who’s Sabotaging Iran’s Nuclear Program? The Daily Beast.(オンライン)2012年9月19日.(引用日:2019年5月18日.) https://www.thedailybeast.com/whos-sabotaging-irans-nuclear-program.

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