書評『新時代「戦争論」』マーティン・ファン・クレフェルト著・
石津朋之 (監修, 翻訳), 江戸伸禎 (翻訳)

 「孫子」やクラウゼヴィッツの「戦争論」が抱える欠落を埋め合わせ、両者よりも包括的で簡潔な著作を作る。序章で掲げられた著者の目的の壮大さは、我々読者を驚嘆させる。しかも、読み進めていくと分かるが、著者は「孫子」や「戦争論」に対しての敬意を一分も損なうことなく、思考の歩みを進めている。結果として、著者は、約300ページという比較的少ない文章量で、「孫子」や「戦争論」の内容を踏まえながら、今日の戦争の姿を包括的かつ簡潔に描き出すことに成功した。

 「孫子」と「戦争論」に引き続く文献として本書全体を貫いているのは、「戦争は人間の営み」というテーマだ。著者は、戦争を、生命と思考と反撃能力を持つ相対する集団間による身体的暴力の相互行使を本質とする活動と定義し、そこには個別的及び集団的な人間活動のあらゆる側面が影響を及ぼすとしている。ゆえに、地理や経済、技術といった物質的な側面について述べられていても、その裏には常に、人間が物質的要因をどのように認識し対応するか、という問いが存在している。この人間中心の戦争観とでも言うべきものによって、本書は個別の時代の事柄に左右されない、長く読み継がれうる作品となっている。

 一方、この人間中心の戦争観は、戦争における人間の認識と思考の役割を強調するためか、物質的要因とりわけ技術が戦争に与える影響を低く見積もる結果を招いたように思える。技術自体に思考能力があるわけではない。しかし生み出された技術は、思考能力があろうと無かろうと、それを目の当たりにした人間の認識と思考に影響を与えずにはおかない。その点で、技術と人間の相互作用というものはあるのではないか。そして、サイバー、ドローン、AIといった新しい技術が次々と戦場に現れる今日にこそ、技術と人間との関係を、言葉を尽くして語るべきではないか、と私は思うのである。

 これまで起こらなかったことが今後も起こらないとは限らない。著者が語るように、新技術や新たな戦争形態によっても戦争の姿は変化しないかもしれない。しかし、本当に変化しないのかは誰にも分からない。ただ一つ言えるのは、上記のような思いを仮に私が抱いたとしても、本書がこれまでと今後の戦争の在り方を、無駄なく、簡潔に既述した高水準の文献であることに変わりはない。本書の語る通りに時代は進むか、それとも異なる道を歩むか。それをこの目で見て、論じていく役割は、本書を読んだ者に託されているのかもしれない。(了)

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