核兵器保有の「敷居」に立ったイラン(1)

1.不思議な風景

 最近の中東では不思議な事が良く起こるようになった。2020年の秋にアラブ首長国連邦とバーレーンがイスラエルと国交を樹立した。いずれも、これまでイスラエルを無視してきたアラブ人の国家である。またサウジアラビアとイスラエルの接近が伝えられた。そして、最近では中国の仲介によるイスラエルのイランとの国交回復への動きが進んだ。しかもアメリカとイランの間で、後者の核問題についての、暫定的な合意が近いとの報道もある。戦争やクーデターばかり起こっていた中東で、突然に和解とか合意とかが続発している。不思議な風景である。一体全体、この地域で何が起こっているのか。

2.外交的な選択

 最近の中東での一連の動きを説明する鍵はイランの核兵器保有への限りない接近である。2015年のアメリカなどの主要6か国とイランとの合意では、前者はイランに対する経済制裁を撤廃する。後者は核開発への大幅な制限を受け入れるという妥協が成立していた。ところが2018年にアメリカのトランプ政権は一方的に合意から離脱しイランに対する制裁を再開し強化した。

 やがてイランも対抗するかのように、合意の制限を大幅に超えたウラン濃縮を進め始めた。その結果、イランは核兵器製造に必要な量と質の濃縮ウランを獲得する寸前にまで迫っている。イランが核兵器の製造に着手したという兆候はないが、その決断を下せば短期間で必要な濃縮ウランを獲得できる位置にイランは立っている。核兵器保有という家には、まだ入っていない。しかし、その入り口に立っているわけだ。こうした状態の国を専門家は、核兵器保有の「敷居国家」と呼ぶ。

 イランが、これ以上に核兵器保有に近づくのを阻止する方法は二つしかない。ひとつは軍事力の行使、つまり爆撃である。しかし、これはイランとの戦争を意味する。これには、超大国のアメリカでさえも、乗り気ではない。アフガニスタンとイラクの戦争で疲れたアメリカ国民は新たな戦争を歓迎しないだろう。

 ましてや、現在のアメリカは、アジアでは中国と対立し、ヨーロッパではウクライナを支援してロシアと戦わせている状況である。新たに戦端を開く余裕はないだろう。もし戦争を始めれば、バイデン大統領の2024年の再選は、ますます困難になろう。それでなくとも同大統領の人気は低迷したままである。

 実はアメリカにはイランを攻撃する絶好の機会が2019年にあった。この年の秋、サウジアラビアの石油生産の中心地のひとつであるアブカイクがドローンなどによる大規模な攻撃を受けた。一時的ながら同国の石油生産は半減した。イランは否定したものの、攻撃をしたのは同国だと疑われた。長年にわたりサウジアラビアと深い関係にあるアメリカの対応が注目された。当時の大統領はトランプだった。トランプは、大統領就任後の最初の外国訪問地にサウジアラビアを選んだ。それほど親サウジアラビアの指導者だったのである。ところが、トランプはイランに対する報復はしなかった。イランとの戦争が自らの2020年の再選を難しくするとの判断だったのだろうか。いずれにしろ、これでアメリカにはイランと事を構えるつもりがないのが明らかになった。

 すると、まず被害にあったサウジアラビアが動いた。イスラエルと接近を開始した。アメリカがサウジアラビアを本気で守ってくれないならば、新しい保護者が必要である。イスラエルの対空防衛技術などにサウジアラビアは強い興味を抱いている。メッカとメディナというイスラムの二大聖地を抱える同国は、さすがにイスラエルの正式な承認は行わなかった。だが密接な関係にあるバーレーンとアラブ首長国連邦の2国がイスラエルと国交を樹立するのには、反対しなかった。

 またアメリカの後ろ盾が期待できない以上、イランと対立するのは、あまりにも危険である。サウジアラビアはオマーンなどの仲介でイランとの関係改善を模索した。そして中国の調停を受け入れる形でイランと国交回復の交渉を開始した。

 しかも、アメリカさえも、やはりオマーンなどの仲介でイランとの緊張緩和の努力を始めた。バイデン政権は、発足当時からイラン核合意の再建を主張していたが、これまで実現していない。その理由のひとつは、イランに対して厳しい共和党が下院の過半数を占めていることだ。

 そこで議会の承認を必要としない程度の暫定的な合意で、とりあえずは状況の悪化を食い止めようとしている。その内容は、一方でアメリカは凍結されているイランの海外資産の一部を限定的に解除する。つまりイランが、凍結解除された資産で薬品などの物資を輸入できるようにする。他方でイランは、現在60パーセントにまで高めているウランの濃縮度を、これ以上は高めない。ちなみに90パーセントを越えた濃縮ウランは核兵器の材料になるとされている。そしてさらに拘束しているアメリカ市民を解放するといったものである。

次回につづく

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